気まぐれkimokuの癌(上咽頭癌)闘病記

癌(上咽頭)との闘病後日常生活を取り戻し                                        趣味や近郊探訪、小旅行、スポーツ観戦、グルメ等、日々の出来事を気の向くまま記事を書いています。

2012年11月

 昨日(11/5)岐阜県大野郡白川村の世界遺産白川郷「合掌村」へ行って来ました。
 
4日には文化遺産を火災から守る為、訓練と点検を兼ねて恒例の消防用の放水銃による一斉放水が行われました。
 
おりしも、紅葉真っ盛りの合掌村は月曜日(11/5)にもかかわらず、観光バスやマイカー等が多く、集落内は多くの人出で賑わっていました。
 
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    あいにくの小雨模様でしたが、城山展望台からの眺めは格別でした。
 
集落内はマイカー乗り入れ禁止になっていますので、下の画像を参考に指定の駐車場(有料)に止めて下さい。
 
又、城山展望台までマイカーで行けますが、駐車台数が少ないので、下図の駐車場をご利用された方が無難です。
 
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訪問日時:平成24年10つ30日(火) 11:00~11:30
訪問場所:岐阜県不破郡垂井町岩手
 
 垂井町北部の山間地にある明神湖(不破北部防災ダム)でアマチュア無線の移動運用行った際に、帰路麓にある竹中半兵衛の陣屋跡に立ち寄りました。
 
竹中半兵衛重治は幼少の頃から決して丈夫な身体ではなく、きゃしゃな容姿だったそうですが戦国の武将、織田信長公の目に留まり、後の豊臣秀吉である木下藤吉郎の懐刀として迎え入れました。
 
木下藤吉郎の部下となった竹中半兵衛は知略を活かし、数々の功績を挙げ”軍師”としての名声を今日まで伝えています。
 
しかし、元来丈夫でなかった半兵衛は36歳の時戦場で病死し、短い一生を終えました。
 
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          石垣と立派な櫓で造られている門
 
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  門の左側に竹中半兵衛重治の銅像があります 門の所に立てられている説明書き   
 
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  門の裏側            門の奥は陣屋ではなく、幼稚園になっていました
 
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  陣屋跡前にある無料駐車場         陣屋跡から100m程の所にある菩提寺                
 
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最近造られた半兵衛水車小屋
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